ファントムストック:希薄化ゼロで「株価連動」インセンティブを設計する方法
中小企業の採用・定着・業績向上の切り札として、ファントムストック(Phantom Stock / Phantom Stock Plan)が注目を集めています。実株は発行せず、“株価に連動した評価差額”を現金で支払う長期インセンティブ(LTI)の一種です。本稿では、仕組み・メリット/デメリット・ストックオプションとの違い、設計と運用、会計・税務の考え方、成功事例の型までを一気通貫で解説します。
はじめに:中小企業こそ「株価連動×現金払い」の合理性
人材獲得競争が激化するなか、自社株の活用は魅力的でも、未上場やオーナー企業では希薄化・議決権分散が難点です。ファントムストックは、株式を発行せず、評価差益を賞与相当の現金で支給できるため、希薄化リスクなく中長期のコミットメントを引き出せます。
一方で企業側はキャッシュアウト(労務費)を伴うため、支給上限やパフォーマンス条件で支払総額をコントロールする設計センスが問われます。
ファントムストックとは
定義
- 実株を渡さず、仮想株式(Phantom Shares)を付与。
- 基準時点の評価額と将来の評価額との差額(評価差益)を現金で支給。
- 株式は発行されないため、資本構成・議決権・発行済株式数は不変。
- 長期インセンティブ(LTI)として、中期経営計画や企業価値向上へのコミットを促す。
向いている企業像
- 未上場・オーナー企業で希薄化を避けたい。
- 将来のIPO/M&Aを見据えるが、現段階では実株譲渡が難しい。
- 主要人材の3〜5年スパンの定着を狙いたい。
ストックオプション等との違い
ストックオプション(SO)
- 権利行使で株式取得 → 希薄化あり。
- 従業員は上昇益にレバレッジ。企業は現金支出は原則なし。
- 付与・行使に法的手続きや評価が必要。
RS/RSU(譲渡制限付株式/ユニット)
- 実株/擬似株の付与が前提 → 希薄化や議決権配慮が必要。
サーベイ・SAR(Stock Appreciation Rights)
- 株価上昇分のみを現金/株式で支給。ファントムストックに近いが、権利形態や評価指標の設計が異なることが多い。
ファントムストック
- 現金払い・希薄化なし・議決権影響なし。
- 会計上は労務費として扱う運用が一般的。
- キャッシュアウト管理が要点。
導入メリットとデメリット
メリット
- 希薄化ゼロ:資本政策を守る。
- ガバナンス維持:議決権を配らない。
- 設計自由度:KPI/評価式/上限のカスタマイズが容易。
- リテンション効果:一定の在籍条件・クリフで離職防止。
- 採用力向上:未上場でも**株価連動の“夢”**を提示できる。
デメリット
- キャッシュアウト:支給時に現金が必要。
- 評価の透明性:株価(評価額)算定方法の合意が必須。
- 制度運用負荷:KPIトラッキング、会計・税務処理、情報開示の整備が必要。
- 上限設定のトレードオフ:企業は費用管理、従業員はアップサイド制限。
設計の基本構造(ベストプラクティス)
1) 付与対象と付与量
- 役員・管理職・専門職・ハイポテンシャル人材など。
- 人材市場価格×代替困難性×貢献期待でレンジ設定。
2) ベスティング(権利確定)
- クリフ(例:入社/付与後1年は権利なし→一括確定)。
- その後毎年/毎四半期で均等確定。
- **在籍条件(Good/Bad Leaver規定)**を必ず明文化。
3) パフォーマンス条件
- 会社KPI(売上・EBITDA・FCF・ROIC・新規顧客数等)。
- 個人KPI(OKR/MBO)。
- ゲート(最低基準)+スケール(達成度に応じ倍率)。
4) 評価額(擬似「株価」)の決め方
- 未上場:DCF/マルチプル/時価純資産法等の評価ポリシーを就業規則付属文書・制度規程に明記。
- 上場想定:将来のイベント時点の時価を参照する条項も可。
- 第三者評価や評価会計年度の固定式で透明性を確保。
5) 上限・下限・希薄化代替指標
- 上限(Cap):一人当たり・全体プール・年度上限の三層で管理。
- 下限(Floor):最低保証を置かず“ゼロ〜上限”にするのが一般的。
- プール型:総額プールをKPI達成率×評価ポイントで配賦。
6) 支給時期・支給形態
- 中期終了時(3〜5年)一括 or ローリング支給。
- 現金(賞与相当)で源泉・社会保険の取り扱いに留意。
評価指標とKPI設計
会社KPIの例
- 成長:売上CAGR、ARR/MRR、LTV、チャーン率。
- 収益:EBITDA/営業利益、営業CF、FCF。
- 効率:ROIC、在庫回転、労働生産性。
- 戦略:新製品ローンチ、主要アライアンス締結、認証取得。
個人KPIの例
- 事業責任者:部門EBIT、粗利、案件受注額。
- 開発:ロードマップ達成率、障害指標、セキュリティ適合。
- セールス:新規粗利、解約率、パイプライン健全性。
設計のコツ
- “コントロール可能”指標を選ぶ。
- 会社KPI:個人KPI=7:3〜5:5の範囲でバランス。
- 周知は年初、評価は四半期レビューで透明性を担保。
支給額の計算ロジック例
差額清算型(標準)
支給額 = 付与口数 × { min[(期末評価額 − 基準評価額), 上限単価] } × 達成倍率
- 付与口数:各人に配賦する仮想株数。
- 基準評価額:付与時点の評価(“取得価額”)。
- 期末評価額:評価ポリシーに従い算定。
- 上限単価:キャッシュアウト抑制。
- 達成倍率:会社/個人KPIを統合した係数(0〜150%等)。
プール配賦型(キャップ重視)
総支給額 = 会社KPI達成率 × 予算プール
個人支給額 = 総支給額 × {個人評価ポイント / 全体ポイント}
- 予算統制が強い。ボラティリティ低減。
会計・税務の基本的な考え方
※以下は一般的な考え方です。個別案件は専門家にご相談ください。
- 会計:支給見込み額を労務費(賞与等)として費用認識(見積り・引当・期中見直し)。
- 税務(受給者):原則給与課税。源泉徴収・社会保険の対象となる取り扱いが一般的。
- 税務(会社):損金算入の可否・タイミングは制度設計と会計処理に依存。
- 評価文書化:評価方法・KPI・上限・在籍条件を制度規程として明示し、監査・税務調査に備える。
- 開示:未上場でも従業員向け開示資料を整備し誤解を防止。
導入プロセスと社内運用
1) 目的の明確化
- 「誰に」「何年で」「何を達成」させたいかを一文で言語化。
- 例:“3年でEBITDAを2倍に。コア人材15名の離職率を5%未満に抑制。”
2) 制度設計ドラフト
- 対象者・付与口数レンジ・ベスティング・KPI・評価式・上限/プール・在籍条件。
- シミュレーションで予算レンジと従業員期待値を整合。
3) ガバナンス整備
- 取締役会決議(必要に応じて)。
- 制度規程・個別同意書テンプレの準備。
- 評価タイムテーブル(年初通知→四半期レビュー→期末確定)。
4) コミュニケーション設計
- “夢”と“現実(上限・在籍条件)”を同時に説明。
- FAQ集・事例・計算例を配布し、期待管理を徹底。
5) 運用・モニタリング
- KPIトラッキング、キャッシュアウト見込みの四半期更新。
- 期待離職率・採用歩留まり・生産性指標で効果検証。
失敗を防ぐチェックリスト
- 目的が採用/定着/業績のどれかに紐づいているか
- 評価式が明確(誰が読んでも同じ計算結果)
- 上限(Cap)とプールで費用統制できるか
- 在籍条件とGood/Bad Leaverが明記されているか
- 評価額の算定方法とそのオープン度が合意済みか
- 四半期レビューで進捗確認と期待管理をしているか
- 税務・社会保険の取り扱いの想定を記録しているか
- 退職・M&A・上場等のイベント対応条項があるか
中小企業向けミニ事例(モデルケース)
会社概要
- 製造×サブスク保守の未上場企業、従業員80名。
- 3カ年で売上+40%・EBITDA倍増を目標。
設計サマリ
- 対象:経営幹部10名+キーポジション10名(計20名)。
- 付与:総口数200,000口(1口の基準評価額=¥1,000)。
- ベスティング:1年クリフ後、月次均等(36か月)。
- KPI:会社(EBITDA・ROIC)70%、個人KPI30%。
- 上限:1口あたり評価差額の上限¥1,500、かつ総プール上限¥120,000,000。
- 支給:3年目決算確定後に一括清算。
支給試算(達成倍率120%)
- 期末評価額:¥2,300
- 差額:min(2,300 − 1,000, 1,500) = 1,300
- 個人Aの付与口数:20,000口
- 支給額(個人A):20,000 × 1,300 × 1.2 = ¥31,200,000
- ただし総プール上限超過時は比例減額。
効果:コア人材の離職ゼロ、KPIレビューを通じた戦略実行の徹底、採用広報での差別化に成功。
FAQ
Q1. 未上場でも導入できますか?
はい。評価ポリシーと支給ルールを文書化できれば導入可能です。
Q2. 現金負担が不安です。
上限(Cap)やプール制、支給タイミングの工夫でキャッシュフローを平準化できます。
Q3. 既存の賞与制度と併用できますか?
可能です。短期(STI)は四半期・年次、長期(LTI)は3〜5年で役割分担するのが一般的。
Q4. 税務はどうなりますか?
受給者側は給与課税が一般的。会社側は労務費としての処理がベース。詳細は専門家にご相談ください。
Q5. 退職や解雇時の扱いは?
在籍条件、Good/Bad Leaver、競業避止・守秘義務違反時の没収条項などを個別同意書に盛り込みます。
ファントムストックは、希薄化ゼロで“株価連動のやる気”を生み出す制度です。鍵は、
- 評価式の明確化、2) Cap/プールでの費用統制、3) KPIレビュー運用。
導入を検討するなら、まずは**「目的・対象・評価式・上限」の4点をA4一枚の制度骨子**に落とし込み、1〜2パターンの試算から始めましょう。
[監修:社会保険労務士・中小企業診断士、島田圭輔]
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