定期昇給の設計と運用ガイド――採用・定着・持続可能性を同時に叶える賃金カーブの作り方
人手不足・物価上昇・最低賃金の引上げが続く今、毎年の「定期昇給(定昇)」は、中小企業にとって採用力・定着力を左右する最重要テーマです。本記事では、定期昇給の基本、ベースアップ(ベア)や賞与との違い、設計手順、評価制度との連動、法務・労務の留意点、運用のコツまでを実務目線で解説します。最後にそのまま使える条文例・運用テンプレも付けました。
定期昇給とは何か
定義と位置づけ
定期昇給は、年齢や勤続・能力の伸長などの基準に応じて、毎年決まった時期に基本給を段階的に引き上げる仕組みです。賃金水準そのものを引き上げる「ベースアップ(ベア)」や、業績に応じて変動させる賞与とは役割が異なります。定昇は将来の賃金カーブを形づくる“レール”であり、凍結・延期は生涯賃金やモチベーションに影響しやすい点が特徴です。
ベア/賞与/スポット改定との違い
- 定期昇給:個人の成長・勤続や等級進展を反映する毎年の基本給改定。
- ベースアップ:全社的な基本給テーブル自体の底上げ。物価や外部相場に対応。
- 賞与:業績・貢献の変動配分。固定費化を避けやすい。
- スポット改定:採用競争や最低賃金対応など臨時のテーブル調整。
中小企業における定期昇給のメリット/デメリット
メリット
- 採用力の向上(応募段階で将来賃金が見える)。
- 定着・育成の促進(昇給=成長実感の可視化)。
- 人件費の中期計画が可能(賃金カーブで3~5年の原資を見通せる)。
- 評価制度の定着(昇給レンジを評価に連動)。
デメリット(リスク)
- 固定費化による収益圧迫(景気後退局面)。
- 評価の甘さが“自動昇給化”を招き、逆選択リスクに。
- 最低賃金や相場の上昇に追いつかないと若手が流出。
対策の原則:①総額人件費を“率”で管理、②昇給レンジを明確化、③表と裏のテーブル(市場/社内)を定期比較、④凍結・見直しルールを事前規定。
定期昇給の代表的な設計型
① 勤続・年齢基盤 × 能力進展(職能型)
毎年のステップアップを前提に、評価で昇給幅を増減。日本の中小で最も多い型。
② 役割・職務基盤(職務/役割給型)
役割等級を軸にレンジを設定。職務の重さが上がれば昇給幅も大きくなる。
③ ハイブリッド(推奨)
最低保証(例:年3,000円)+評価連動(例:0~7,000円)+等級レンジ管理。採用競争力と財務健全性のバランスが取りやすい。
昇給レンジの例(5段階評価)
- S:+7,000~10,000円
- A:+5,000~7,000円
- B:+3,000~5,000円
- C:+0~3,000円(最低保証のみ)
- D:0円(改善計画の策定・面談必須)
賃金カーブの作り方(5ステップ)
STEP1:現状把握と制約の確認
- 職種別の基本給・年齢/勤続・等級の分布、他社相場(地域・業界)。
- 総額人件費比率・労働分配率・生産性(付加価値)・粗利率。
- 最低賃金・社会保険・所定内給与の構造(固定残業の扱い含む)。
STEP2:人材ポートフォリオと等級の定義
階層(例:スタッフ/リーダー/マネージャー)×職種(製造、営業、事務、エンジニア等)で役割定義。スキルマトリクスで「等級⇒責務⇒賃金レンジ」を明確化。
STEP3:賃金カーブ(基本給テーブル)の設計
- 新卒・中途の入口賃金を相場に合わせる。
- 20代前半は伸びを大きく、30代でレンジを広く、40代以降は役割差で分岐。
- 最低賃金の年次上昇シナリオを織り込む(逆転防止)。
STEP4:昇給原資と昇給ルール
- 原資率(例:付加価値の▲%・人件費総額の▲%・売上の▲%)を期首に確定。
- 評価分配:会社業績係数×部門係数×個人評価で昇給レンジを決定。
- 最低保証、据置き、上限、凍結条件を条文化。
STEP5:運用・労使コミュニケーション
- 評価の納得性(目標の明確化・フィードバック面談)。
- 辞令・給与明細での説明、Q&A共有。
- 年1回のテーブル点検(物価・相場・最低賃金・採用実績)。
原資設計:持続可能な“率”管理が王道
「毎年いくら上げるか」より「総額でどの率を賃上げに回すか」を先に決めます。物価(CPI)・最低賃金の見通し・業績計画から、①ベア枠(テーブル上げ)②定昇枠(個人伸長)③スポット対応枠(相場/採用)の3枠に配賦。景気悪化時はベアを抑え、評価連動の幅で柔軟に吸収します。
評価制度との連動:納得と抑制を両立
- 評価×昇給レンジ:上記レンジ表を賃金規程の別表に明記。
- 等級到達要件:スキルマトリクスで昇格条件を可視化(研修とセット)。
- 不適応時:据置きや改善計画を明文化(恣意性を排除)。
法務・労務の留意点(中小企業実務)
- 就業規則・賃金規程:昇給時期、基準、決定方法、据置・凍結条件、告知方法を規定。
- 不利益変更:テーブル見直し等で低下影響が出る場合は、労使協議・経過措置・個別同意の検討。
- 同一労働同一賃金:パート・有期との均衡/均等待遇の説明責任。昇給基準を職務・能力・成果で説明可能に。
- 最低賃金逆転:若手層の基本給が逆転しないよう年1回の点検を必須に。
- 社会保険の随時改定:固定的賃金の昇給で標準報酬月額が大きく変動した場合は、要件に該当すれば「月額変更届」の提出が必要。
- 固定残業代:基本給改定時は時間外単価や固定残業の妥当性も同時に再計算。
モデル賃金カーブ(例)
※架空例。月額・基本給イメージ(製造スタッフ等級1~3)。
年齢/勤続 | 等級1 | 等級2 | 等級3 |
---|---|---|---|
入社時 | 200,000 | — | — |
2年 | 205,000 | — | — |
4年 | 210,000 | 225,000 | — |
6年 | — | 235,000 | — |
8年 | — | — | 255,000 |
このように、若手は伸び率を高め、等級が上がるとレンジ(幅)で差がつく設計にします。最低賃金・相場上昇を織り込むため、入口賃金と20代レンジは毎年点検が必須です。
運用テンプレ(そのまま使える)
賃金規程の条文例(抜粋)
(定期昇給) 第○条 会社は毎年○月に従業員の職務、能力、勤務成績、会社業績その他を総合勘案し、別表の昇給レンジに基づき基本給を改定する。 2 会社業績その他のやむを得ない事由がある場合は、労使協議の上、昇給を据え置き又は凍結することがある。 3 昇給の有無及び額は辞令により本人に通知する。
昇給レンジ別表(例)
評価S:+7,000~10,000円 評価A:+5,000~7,000円 評価B:+3,000~5,000円 評価C:+0~3,000円 評価D:0円(改善計画) ※原資率と会社業績係数により期ごとに見直す。
社内説明会アジェンダ(30分)
- 今年の原資率と外部環境(物価・相場・最低賃金)
- 昇給方針(テーブル/レンジ)と評価の考え方
- 個別フィードバックの流れと不服申立て窓口
- 標準報酬月額・時間外単価の注意点
よくある失敗と回避策
- 失敗:一律アップで固定費が膨張。
→ 回避:最低保証+評価連動+原資率の三点セットで統制。 - 失敗:入口賃金が相場負けし採用難。
→ 回避:入口厚め+中盤レンジ広め+等級分岐で調整。 - 失敗:説明不足で不満増幅。
→ 回避:面談とQ&A、レンジ表の公開、評価基準の事例化。 - 失敗:最低賃金逆転。
→ 回避:年1回の自動点検ルーチン化。
ケース別のおすすめ設計
成長投資期(採用強化)
入口賃金を相場+α、20代の昇給ピッチを強めに。評価S/A比率を高めてスター人材の流入・定着を狙う。
安定運用期(利益確保)
ベアを抑制し、評価連動幅で差配。D評価は0円+改善計画の徹底。
再構築期(等級整理)
等級要件と賃金レンジの再定義。重複手当を整理し、基本給に一本化して透明性を高める。
導入・見直しのタイムライン(モデル)
- 0~1か月:現状分析(賃金分布・相場・財務)
- 2か月:等級・テーブル案、試算(3年先までの人件費見通し)
- 3か月:労使協議・規程改定・説明会
- 4か月:初回適用・評価面談・モニタリング
FAQ
Q. 物価上昇が続く中、ベアと定昇は両立できますか?
A. 原資を「ベア枠」「定昇枠」「スポット枠」に分ければ可能です。景気悪化時はベア枠を縮小し、評価連動で差配します。
Q. 昇給を据置く場合、どのように伝えるべき?
A. 規程に据置き・凍結条件を明記し、本人面談で理由と改善方針を説明。次回評価での挽回ルートを示すことが肝心です。
Q. パート・有期にも昇給は必要?
A. 均衡待遇の観点から、職務・能力・貢献が伸びれば昇給の仕組みを用意するのが望ましいです(最低賃金の改定点検も必須)。
まとめ
定期昇給は、単なる「毎年上げる儀式」ではなく、採用・育成・定着・収益性を同時にコントロールする経営レバーです。鍵は、①原資を“率”で決める、②昇給レンジと評価を連動、③等級レンジで中長期の賃金カーブを描く、④法務・労務の要件を押さえる、の4点。今日から「入口賃金」「20代の伸び」「等級レンジ」「最低賃金逆転」の4チェックを始めましょう。
- 【無料チェック】現行テーブルの「最低賃金逆転」「入口相場」診断表を作ります。職種別の基本給レンジをご提示ください。
- 【1週間で草案】等級定義/昇給レンジ/条文例の3点セットをドラフト化し、3年分の人件費シミュレーションを提示します。
- 【説明会パック】評価シート・Q&A・面談台本まで含めて現場実装を支援します。
「自社に最適な定期昇給の設計」を短期で形にしたい方は、いまの賃金表(役職・年齢・等級・基本給)をお送りください。最短ルートで“採用に強く、持続可能”な賃金カーブをご提案します。
[監修:社会保険労務士・中小企業診断士、島田圭輔]
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